本記事では、数学における「カーネル(核)」について解説します。線形代数で行列のカーネル(零空間)を学んだ方も多いと思いますが、実はカーネルは群論や環論、さらには一般の集合間の写像においても登場する非常に普遍的な概念です。
1. 写像におけるカーネル
線形代数では「行き先が零ベクトルになるベクトルを集めたもの」をカーネルと呼んでいました。これを一般の代数系に拡張すると、カーネルは次のように定義されます。
カーネルとは、写像によって、行き先が単位元になるような、元の集まりである。
具体的には
写像 f:X→Y と、Y の単位元 e があるとき、カーネルは以下のように表されます。
kerf={x∈X∣f(x)=e}
線形代数における零ベクトルも、和における単位元です。線形代数のカーネルは、一般的な代数学の定義の特別な場合とみることができます。
2. 剰余群
ベクトルや行列以外のカーネルって、例えばどんなものがあるんですか?
まずは3で割ったあまりを返す写像を考えてみましょう。
整数を始域にとり、{0,1,2}を終域にとる、3で割ったあまりを返す写像 f を考えます。すなわち、
- f(0)=0
- f(1)=1
- f(2)=2
- f(3)=0
- f(4)=1
- f(5)=2
- f(6)=0
この写像の行き先での単位元は 0 です。では、この写像のカーネルはどのような集合でしょうか?
⋯−3,0,3,6,9,… となるから、3の倍数ですね。
そうです、この場合、$\ker f = \{ 3n|n \in \mathbb{Z}\}$ となりますね。
3. 同値核
代数的な構造(足し算や掛け算など)を持たない、ただの集合の間の写像 f:X→Y についても、カーネルの概念を拡張することができ、これを**同値核(equivalence kernel)**と呼びます。
kerf={(x,x′)∈X×X∣f(x)=f(x′)}
これは、行き先が同じになるような元の組の集合です。
どうして単位元に飛ばされるものではなく行き先が同じになる組を考えるんですか?
一般の集合には単位元に相当するもの存在しないからです。だから、ある特定の点に飛ばされるのではなく、どの元とどの元が同じ点に飛ばされるか(同一視されるか)という性質の共通性そのものをカーネルとして定義します。
4. カーネルからわかる写像の性質
カーネルが単位元に潰れる元の集合だということはわかりましたが、そもそも潰れてしまうものを、わざわざ調べるのはなぜですか?
カーネルを調べれば写像を被せたことで、どんな情報が潰されたのかわかるからです。
例えば、私たちの身の回りにある白黒カメラ。
カラーの景色を白黒写真にする変換では、赤も緑も同じ明るさであれば同じ灰色に変換されます。
よって、白黒写真を見ただけでは、元の色が赤だったのか緑だったのか区別できません。つまり、色の違いという情報が潰れてしまったのです。この潰れて区別できなくなったなった色の違いが、この変換におけるカーネルです。
カーネルは写像を通して違いが判らなくなったものの集まりみたいなものなんですね。
数の計算でも同じことが起きています。小数点の切り捨てという写像を考えてみましょう。
3.14も3.99も、切り捨ての写像を通すとどちらも同じ3になります。
このとき無視されてゼロ扱いになったのは0.14や0.99といった小数点以下の部分です。つまり、この操作のカーネルは小数点以下の端数すべてです。
カーネルに0(単位元)しかなかったら、どうなるんですか?
カーネルが $0$(単位元)しかないということは、失われる情報が一切ないということです。
失われる情報がないということは、変換した後からでも完全に元の状態を復元できるということです。カーネルが 0(単位元)なら単射と言ったのは、**「情報のロスがない写像である」**ということを意味しているわけです。
カーネルに0(単位元)しかないなら単射 というのがすっきりと分かった気がします。
まとめ
カーネル(核)は、線形代数における零ベクトルになる空間から、一般の代数学や集合論においては要素をどう同一視するかという根本的な構造を表す概念へと広がります。